トールキンの言葉の遊び 

実はこの「指輪物語」はトールキンの言葉の遊びに満ちている。だいたいこの「指輪物語」の書かれたそもそもの目的が、トールキンが創造した「エルフ語」が使用される背景を書こうとして一つの世界を作り上げてしまったという物なのだから、まさにトールキンが専門とする言語学や英語学の知識を総動員して詰め込んである物なのだ。それではいくつか例をあげていこう。

まず地名だが、滅びの亀裂と訳されている Crack of Doomは、英和辞書(普通の学習用の物でよい)をひいてみると、「最後の審判の日(の雷鳴)」とある。これはシェイクスピアのマクベスから取られた語で、「この世の終わり」を意味する。
また地名でゴルゴロスGorgorothという場所が出てくるが、英語圏の人はこのゴルゴロスという語感からギリシャ神話のゴルゴンGorgon(=メデューサ)を連想するそうだ。
余談だが、大学時代にこのゴルゴロスの話をある評論で読んだ時、わたしは言葉とそれに付随する文化の深さをかいま見たような気がして、海外生活の経験もなく、日本文化のみで育った自分が英文学を学ぶということに限界を感じてしまった。
その評論によると、トールキンの創作した固有名詞には、このような語感に訴える物がかなりあるらしい。
文化的背景から得られる語感というのはすごいものだ。たとえば2001年に公開された「千と千尋の神隠し」では後半登場人物のハクの本名がニギハヤミコハクヌシだとわかる。この名を聞いただけで、日本人なら何となく日本古来の神様の名前ではないかと思うのではないだろうか。事実わたしの娘(当時小5)もすぐに「神様の名前だと思った」と言っていた。なぜそう思うのかとわたしが聞くと、「神様の名前ってナントカヌシってのが多いから」と答えていた。おそらく以前読んだオオクニヌシノミコトなどが頭にあったのかもしれない。しかし日本文化の背景を持たない人には何の意味もないだろう。ニギハヤミだろうとニギリメシだろうと彼らには変わらない。

話が長くなってしまった。他の例としては、「踊る子馬亭」でフロドが歌う歌があるが、(ビルボが作ったという事になっている)この歌がマザーグースのナンセンス詩、
Hey diddle, diddle,
Cats and the fiddle,
The cow jumped over the moon,
に酷似していることに気づいた人は多いだろう。(この詩は「トールキン小品集」の方の「トム・ボンバディルの冒険」にも収められている)これもトールキンの遊びで、フロドが「踊る子馬亭」で歌って有名に(?)なった歌が語り継がれて現在のマザーグースになったという設定なのだ。
おそらく前述のCrack of Doomもトールキンの、一つの指輪が滅ぼされた地名という事から「この世の終わり」という意味が加わった、という設定をつくっている遊び心が伺える。

また第2部「二つの塔」のBook Four の第1章のタイトルは The Taming of Smeagolだが、これもシェイクスピアの「じゃじゃ馬ならし」The Taming of the Shrewをもじった物だ。そして訳者の瀬田貞二氏はちゃんとこれをふまえて、ここのタイトルを「スメアゴルならし」と訳している。

このほかにも山ほど「遊び」が入っているのだろう。悲しいことに英語が母国語でないわたしにはほとんどわからないものだらけだ。しかしこれらがよくわかっていた訳者の瀬田貞二氏は遊びが訳しきれないもどかしさを感じつつ翻訳したのではないかと思われる。(Crack of Doomを説明なしに単に「滅びのきれつ」とせざるを得なかったように)