わたしと指輪物語との出会い

    

わたしは子供の頃から本が大好きで、小学生の頃のお気に入りは「ナルニア国物語」だった。中学2年でSFに目覚め、高校時代はSFづけで過ごし、大学は英文科に何とかすべりこんだ。
そして大学1年生。英文科の先輩が「ファンタジーとSFが好き」というわたしに紹介してくれたのがトールキンの「指輪物語」だった。実は翻訳がでていたという事を知らず、先輩が貸してくれた原書をいきなり読み始めた。今にして思うと、英文科とはいえ1年生である。よくぞ序章の「ホビット庄の制度」やら「パイプ草の歴史」なんかで挫折しなかったものだと我ながら感心する。

☆当時わたしは密かに大学を出たら翻訳家になりたいと考えていた。そこで「指輪」の気に入った箇所を自分なり訳し、瀬田訳と比べてみたりもした。今考えれば翻訳界の大御所が訳した、非常に評価の高い名文と自分の訳文とを比べていたわけだから無理もないが、わたしは瀬田訳の名訳に接し、すっかり自分の日本語の能力に失望し、翻訳家になる夢を諦めた。

 映画「ロード・オブ・ザ・リング」雑感 

  

☆だいたいがタイトルからして気に入らない。原題はThe Lord of the Rings 「一つの指輪」の他にエルフのための3つ指輪、ドワーフのための7つ、そして人間のために作られ、後に冥王に奪われた9つの指輪などがあり、「一つの指輪」はそれらすべてを統べる指輪なので、せめてリングズと複数形にしてほしかった。またなぜ、瀬田貞二が熟考した上でつけた「指輪物語」という日本語版タイトルがあるにも係わらず、気の抜けたようなカタカナにしたのか理由がわからない。
この「ロード・オブ・ザ・リング」だけではなく映画全般に言える事だが、昨今の「原題をカタカナで書いただけ」のタイトルは何とかならないものか。その昔、Bony and Clydeという原題(BonyもClydeも主人公である男女の殺人犯の名前)という、内容は素晴らしいがタイトルは何とも素っ気ない映画のこのタイトルを「俺たちに明日はない」と邦訳をつけ、原作者に誉められたというエピソードを思いだす。こんな洒落た翻訳家はもういないのだろうか。
話は戻って。しかしともあれ、内容は原作ファンも「あれなら許せる」内容であった。(^^;)

そもそも1900ページ、3部作に及ぶ大作の映画化である。今回は第1部The Fellowship of the Ringの映画化だが、ストーリーをかなりはしょって、それでも3時間の大作だった。
ストーリーは一言で言えば、非常に上手にカットしてあった。つまり原作の意図に沿いながら、言わなくともわかるところはカットし、また原作の言わんとするところを、別の短いストーリーで言い表してあったように思う。

たとえばピピンとメリーは結構いたずら好きのホビットで、原作では彼ら二人は、ビルボの持っていた指輪に興味を示して、あれこれ密かに調べ、フロドが旅立つ時点では結構知っていて、密かにフロドに協力していたのだが、映画ではこの複雑なストーリーを一切カットした上で、ピピンとメリーがガンダルフの花火にいたずらする、というエピソードで彼らの役割と性格を表している。また映画の最後、旅の仲間が分裂するところでも、彼ら二人はフロドの前でオーク鬼を引きつける、と言ったエピソードを入れることによって、彼らのフロドに対する思いを短くしかも的確に言い表している。
また原作では旅の仲間の分裂は最後までほんの伏線程度でしか語られないが、映画ではかなり前からいろいろなところで語られていた。
全体として、長い原作をなんとかわかりやすくかつ短く提示しようとした監督のピーター・ジャクソンの意図とその工夫があちこちに感じられる作品だった。


さらに一部のシーンが有名な挿絵と意識的にそっくりに仕上げてあるのも、原作ファンには嬉しい事であった。これは有名な挿絵画家のアラン・リーとジョン・ハウが実際に映画に参加しているためでもあるが、ホビット庄やガンダルフの姿はまさにジョン・ハウの挿絵そっくりに仕上がっている。なんでもセットを作る際に、彼らはまず何もない目の前の実際の野原を絵に描き、さらにその上にホビット庄の建物や木々を描き加えていって、その絵を基にセットを作り上げていったそうだ。
またブリー村の「踊る子馬亭」で指輪の幽鬼達がホビット達の部屋を襲い、ベッドに剣を突き刺すシーンは、実は20年ほど前に作られたバクシのアニメ版「指輪物語」でも有名な箇所である。今回の映画ではバクシに敬意を表してであろうか、このシーンが全くそっくりに作られていて、見ていて思わず顔がにやけてしまった。(^^;) (もっとも聞く話によると、バクシ自身は今回の映画化に際して、全く声をかけてもらえなくて、ご機嫌斜めなのだそうだ)ちなみに原作にはこのシーンはなく、ホビット達はアラゴルンの部屋に泊めてもらい、朝になってホビット用の部屋に行ってみたら、ベッドが切り裂かれてあって、アラゴルンの忠告に従った幸運を喜ぶだけである。
また更に付け加えるならば、ブルイネンの渡しでフロドが幽鬼達に追いつかれるシーンは。テド・ネイスミスの有名な挿絵   
にそっくりだし、また裂け谷はアラン・リーの描く裂け谷 とそっくりにできている。だから見ている分にはそれぞれの挿絵の中に入ってしまったような錯覚すら覚え、それだけでも非常に楽しめた。

そして随所に使われている特殊効果とCG。この分野は日進月歩の分野であるが、今回も最新の技術を駆使して、あり得ない世界をこの目に見せてくれたスタッフの努力には頭が下がる。
際だっていたのが、フロドが指輪をはめたシーンだ。ここのCG合成シーンは見ていてもかなり凄みがある。CGならではの表現だった。

身長1メートルに満たないホビットを普通の大人が演じるとわかって、海外のファンからは当初「大人がやれるのか?」という質問が殺到した。しかしあれほど微妙なフロドの役回りは到底子役では無理だろう。今回もフロド役のイライジャ・ウッドは非常に微妙なよい表情を出していた。
さてこのホビット役だが、わたしも興味津々だった。しかし映画では見事に演じて(騙して?)くれた。最初のホビット庄で、ガンダルフと彼の半分ぐらいの身長しかないフロドが抱き合うシーンで、わたしはもう圧倒されてしまった。よくぞ見事に騙してくれました、という感じだ。
細かく見ていてわかったのだが、ホビットというのは身長だけ小さく、たとえば頭の大きさは人間と同じ大きさだ。ホビット達はさまざまな方法を使って、見事に身長だけを縮めてあり、その結果自然な小人に見えた。却って、ホビット達だけのシーンは、大きさに手を加えずそのまま撮影しているので、ホビット達が細長く見えてしまうくらいだった。


 映画「二つの塔」感想 

第1作は映画がどこまで原作に忠実か、あるいはどこまで原作の雰囲気を伝えてくれるか全くわからないがための、期待や不安がある。しかし第2作は「第1作があのようなできだったから、2作目も同じようだろう」という安心感があり、その上に更に新たな物語を見ることができるという期待があった。
第1作の終わりで旅の仲間は3つに分裂した。「二つの塔」は原作ではPart3とPart4に分かれ、Part3ではアラゴルン、レゴラス、ギムリのピピンとメリーの探索が語られ、Part4ではフロドとサムのモルドール行きが語られる。映画ではおそらくこの二つの話をカットバックで交互に語るだろうというのは見当がついていたが、オープニングには驚かされた。と同時にこのシーンを再び(フロドの夢という設定だが)見ることができて嬉しかった。そしてそのまま映画の中に引き込まれていったように思う。

第1部でも感じたことだが、全体としてストーリーを実に上手くカットしてある。また今回は第1部のトム・ボンバディルのくだりに見られるような大幅なカットはなかった。実は今回の映画は原作の「二つの塔」の終わりまでを描いていない。原作のいくつかのシーンは第3部の「王の帰還」へ繰り越されている。そのため比較的カットしなくてもじっくりと物語を語ることができ、余裕すら感じられた。(ただボロミアの葬送のシーンがまったくなかったのはちょっと寂しかった。ボロミアを乗せた小舟がラウロスの滝をまっさかさまに落ちていくシーンはぜひ映像で見たかった物の一つだ。実に精巧な「ボロミアの死体」まで作って撮影したそうだから、ぜひともDVDでは復活することを期待している)
(もう一つ言うと、今回原作の「二つの塔」のストーリーすべてが語られなかったため、タイトルの「二つの塔」が映画には実質ほとんど登場しないという結果になってしまった。ちなみに「二つの塔」はゴンドールの治めるミナス・ティリスとモルドールに征服されたミナス・モルグルの二つである。パンフレットやポスターなどにも「塔」という事でアイゼンガルドのサルマンの住みかであるのオルサンクばかりが使ってある)

今回強く感じたことは、監督のピーター・ジャクソンは映像の持つ力をよく知っていて、フルに活用したということだ。文章と映像とは表せる物が異なる。文章では一言で表現できる事柄が、映像となると多くのシーンを割いて説明しなければならなかったり、また逆に文章で表現するには長ったらしい表現をしなければならない事柄が、たった一枚の絵でそれ以上に簡略に表せることもある。この違いを見事に使い分けてくれたと思う。
そのため映画は原作と微妙に異なる。たとえばエント達がアイゼンガルド(これも旧版に親しんだわたしにはイセンガルドの方がぴったりとくるのだが)を襲撃するくだりは、原作ではピピンとメリーが「木の髭」に自分たちの冒険を長々と(それこそホビット庄をでてからのすべての冒険を)語り、それを聞いた木の髭が他のエント達に語って彼らは蜂起する。しかし映画ではエントは一旦戦争に介入しないと決めてしまう。がっかりする二人のホビット達。しかし彼らはファンゴルンの南の端まで送ってもらい、木の髭に直接アイゼンガルドを見せてしまう。木々が無惨に根こそぎにされた様子を目の当たりにした木の髭は怒り心頭に発っし、すぐさま他のエント達を呼び寄せてアイゼンガルドを襲撃するのだ。してやったりというピピンの笑顔が印象的だった。
なおこのシーンはトールキンがシェイクスピアのマクベスを読んで「なぜ森が本当に動いたという展開にしなかったのだろう」という不満を持ち、それをベースに描かれたシーンだ。そんな事も考え合わせると、文字通り「歩く木々」であるエント達がアイゼンガルドを攻撃するシーンは非常に魅力的だった。

戦闘シーンは激しさを増した。大勢のエキストラと膨大なセットを使いながらも(いや大がかりだからこそ余計になのだが)原作に忠実な作りの舞台には、厭が上でも臨場感があり、文字通り物語の中に引き込まれてしまった。映画を見終わってから「中つ国歴史地図」の角笛城の合戦のページを開いてみたが、嬉しくなるほどそっくりなのだ。(同じ原作から起こして描いているので当然かもしれないが)原作の文章だけではなかなかわかりにくい角笛城の構造や戦闘の様子などはやはりこういった「視聴覚教育」をしてくれると実にありがたい。レゴラスとギムリのやりとりも原作同様に楽しめた。

わざと最後に廻してしまったが、やはり印象に残るのはやはりフロドとサムのくだりだ。全体に控えめな表現の原作に比べ、映画では指輪の魔力にむしばまれていくフロドの様子が容赦なく描かれている。原作ではせいぜいサムに鋭い言葉を浴びせかけるだけだったフロドだが、映画ではサムののど元に剣を突きつけるようなシーンまであった。その分わかりやすく、その分壮絶である。
それにしてもイライジャ・ウッドの迫真の演技は素晴らしかった。パンフレット(?)にピーター・ジャクソンがロングで撮ろうと予定していたところで、イライジャの瞳が余りに多くを物語るのに引き込まれ、ずっとアップで撮っていたというようなエピソードも載っていた。指輪の魔力に冒されていく狂気に満ちた表情と、自分自身を取り戻した時の穏やかな表情の違い。あれほどまでにできるのかと驚嘆した。イライジャ、すごいぞ!
映画の冒頭、スメアゴルと会話するシーンも絶妙な出来映えだった。スメアゴルもまたスメアゴルとしての良心が呼び起こされ、ゴラム(ゴクリ)の邪悪な心と戦うシーンの微妙な表情の書き分け。CGであそこまでできるか!と思えるほど微妙な表情を使い分けていた。
映画の冒頭、フロドとサムがスメアゴルに出会うシーン。いきなりスメアゴルに憐れみを感じるフロドと、がんとして信用しないサムとの対比。憐れみを感じることができるのは、自分も指輪所持者だからスメアゴルの心情が痛いほどわかっている訳で、原作ファンはこうしてすぐさま感情移入してしまうが、原作を知らない人にはやはりフロドの行動は唐突に思えるかしらと映画を見ながら考えていた。

繰り返しになるが、映画では原作に比べ、心の動きやストーリーをよりわかりやすくあからさまに語っている。フロドとサムがファラミアに捕らえられるシーンでは、原作では一切が遠回しに語られ、「指輪」という言葉はサムが一度口をすべらす以外には使われない。(ただその一言ですべてがファラミアにわかってしまうのだが)映画では最初からサムが「ボロミアが…指輪が…」としゃべりだし、わたしは「おいおい、そんなにしゃべって大丈夫かい」と思わず心の中でツッコミを入れていた。(^^;)
それにしてもフロドはこの時点ですでに指輪に身も心もボロボロにされている。キリス・ウンゴルも通り過ぎてないというのにだ。キリス・ウンゴルではサムがフロドの代わりに一時指輪を運ぶのだが、それを知ったフロドが、思わずサムを泥棒呼ばわりするシーンがある。しかし今からこんな調子だと、そんな事だけで済むだろうかと余計な心配もしてみたくなる。(^^;)

いろいろ思うままに書き殴ってみたが、ともあれ今回の「二つの塔」も第1部の「旅の仲間」同様すばらしいできだった。映画はすでに3作分を撮りきってしまい、現在は第3部「王の帰還」の編集作業が行われている訳だが、何でもピーター・ジャクソンは第3部のシーンの編集には特に力を入れ、夢中になって仕事をしているそうだ。物語もクライマックスを迎える第3部が今から本当に楽しみだ。(見られるのが1年後だなんて…わたしは映画を見たあと、思わず夜更かしして「王の帰還」を再度読み返してしまった)
原作を知り抜いたジャクソン監督だから、決して単なるハッピーエンドではなく、悪は倒されたものの、エルフの時代が終わり、ひどい傷を負ったフロドがさらにホビット庄にも別れを告げなければならないあのもの悲しさをきちんと書き表してくれるだろう。プレミアショーとまでは行かないが、せめてシンガポールかアメリカまで行って第3部を今年の12月に見ようかと真剣に考え始めている。