ベレンとルシアン〜トールキン夫妻に思う   



トールキンの生涯を振り返る時、最も感動的なできごとが、妻エディスを失った時にその墓に「ルシアン」と刻んだというエピソードだ。そして何年か後、トールキンが妻の後を追うようにその生涯を閉じた時、彼の友人たちは彼の墓に同じようにベレンと刻みつけたという。
ベレンとルシアンはシルマリルの物語に登場する、人間とエルフとのカップルで、二人の生涯は歌として読まれ、指輪物語の中にも二人についての詩をアラゴルンがホビットたちに聞かせるシーンがある。指輪物語のアラゴルンとアルウェン同様、ヌメノールの血をひく人間の子ベレンは森の中で踊るルシアンを見、恋に陥る。(ちなみにアラゴルンも同様で、実際アラゴルンはアルウェンに遭遇した時、伝説の中のルシアンにあったのではないかとティヌウヴィエルと声をかけたのだ)そしてアルウェン同様ルシアンもエルフとしての不死身の生を捨て、ベレンと共に定命の生涯を送る選択をする。このようにエルフと人間の二組のカップルには非常によく似た点が存在する。
それではなぜトールキンは妻の墓にアルウェンではなくルシアンを選んだのだろうか。
アルウェンと同様ルシアンも親兄弟に人間との結婚を猛反対される。そしてルシアンの父親はベレンに達成不可能な課題として、モルゴスに横取りされたシルマリルを取り戻せばルシアンとの結婚を許すという難題をふっかける。ちなみにモルゴスというのはサウロンのボスと思ってもらえればいい。
またルシアンは結婚を反対する兄弟たちによって軟禁の身となってしまう。しかし彼女はそこから魔法を使って逃げ出し、ベレンと会い、シルマリルを取り戻すために全力を尽くすのだ。魔法を駆使して自分の姿をコウモリに変え、またベレンの姿も変えて、二人はモルゴスのすみかに乗り込んでいく。ここでルシアンを助けるフアンという実にけなげな忠犬が登場する。結果的にシルマリルは取り戻すものの、ベレンはこの難題を達成するために命を落とす。ルシアンは死を司るマイア、マンドスの元におもむき、彼に直接ベレンの命を取り戻すよう訴える。マンドスも彼女の悲しい歌に心ひかれ、長い中つ国の歴史の中でただ一度、死者の国から魂を呼び返し、二人は現身の身となって、共に中つ国で暮らす。
「指輪」のおかげでアラゴルンとアルウェンの方が遙かに有名ではあり、映画ロード・オブ・ザ・リングではアルウェンは大活躍するものの、実際の原作では彼女は(毎日のように心を痛めていただろうが)実質アラゴルンのために旗印を作るぐらいしか具体的な事はしていない。(^^;) 
それを考え合わせると、やはりトールキンにとってその妻エディスはアルウェンよりはルシアンのように、トールキンを一生涯陰から支えてくれた存在なのではないかと思う。

それにしてもエディスが亡くなった時、彼女は82歳。写真を見ると美しい婦人ではあるが、やはり老いに勝てる人はいない。酷な言い方だが皺もあれば腰も曲がっていたかもしれない。そしていくら仲の良い夫婦であったとしても、長い生涯に何度かはケンカなどもしたかもしれない。そんなエディスを「ルシアン」と呼び得たトールキンにわたしは深い尊敬の念を感じる。二人の間には老化や日常の小さな問題、そのすべてを補ってあまりあるほどのすばらしい物が存在したのだ。
そしてトールキンは老齢のエディスの中に本当にルシアンを見ることができたのだと思う。
これこそがファンタジーの見方ではないだろうか。現実の姿に決して惑わされることなく本質を見つめていたトールキンだからこそ、老妻の中に永遠に生きるエルフの姫を見ることができたのだと思う。
いつかイギリスを訪れる機会があったら、Beren, Luthienと刻まれたトールキン夫妻の墓を訪れたいと思っている。